べっぴんさん|坂野通夫の帰国とその後がドラマと違い過ぎる!

 

朝ドラ『べっぴんさん』では、いよいよ紀夫がすみれの下に

戻って来ることになります。

 

これまで随分と紀夫の消息不明については意味深な描写も多かったので、

多くの視聴者の方々もホッとするはずです。

 

ところで彼の帰国のエピソードは、ファミリアの創業者である坂野惇子の

夫の通夫の史実を下敷きにしてあります。

 

彼も終戦後は音信不通となってしまい、一般的な復員兵よりも随分と遅れた

帰国となりました。

 

またその安否を案じていた惇子のもとに、突然投函場所すら書いていない

一通の手紙が届いて、それには「すみれの花が咲くころに帰れそうだ」

と記してありました。

 

しかしドラマとはかなりの相違点もありますので、ここでご紹介しておきます。

 

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(坂野通夫が帰国の際に搭乗したすみれ丸)

 

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坂野通夫の帰国とその後がドラマと違い過ぎる!

 

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坂野通夫が帰国したのは昭和21年(1946年)4月で、ドラマでは紀夫の帰国は

昭和22年の4月ごろですから、およそ1年前に帰国したことになります。

 

当時の惇子は娘の光子、姉の智恵子、お手伝いの宮本さかえとともに、

疎開先の岡山県の勝山にいました。

 

通夫の帰国とともに神戸に戻って、塚口にあった彼の兄の借家で

新たな生活をすることになります。

 

そして帰国後はすぐに以前勤務していた大阪商船(現商船三井)に復職しますが、

昭和22年の2月に同社を退職して、東京編織(へんお)に転職します。

 

東京編織は以前のレナウン・メリヤス工業で、戦時中に消滅してしまった

佐々木営業部系の会社の中で唯一、生き残っていたものです。

 

このあたりの彼の動きを察するに、潔のモデルの尾上清らと通じて、

いち早く佐々木営業部を復活させようとしたようです。

 

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ドラマでは紀夫は就職先が見つからずに、自分の居場所がないことを理由に

坂東営業部への復職を拒みますが(後に復職)、このあたりは大きな違いです。

 

また彼は過酷な戦争体験から深刻な人間不信に陥っており、栄輔はもとより、

すみれに親切な麻田や明美にも疑いの目を向けます。

 

ですが史実の通夫に関してはそのようなことはありませんでしたので、

このあたりはドラマオリジナルということになります。

 

さらにはドラマでは既にすみれは仲間たちとベビーショップを経営していますが、

紀夫は女性が外で働くことには反対のようです。

 

確かにすみれは坂東家のお嬢様でしたし、当時を知る紀夫にとっては

彼女が外で働いているなどは青天の霹靂でしょう。

 

彼の中では時間が止まってしまっているために、このあたりの状況を

飲み込めていないのでしょうが、これが元ですみれはお店を辞めるか否かの

瀬戸際まで追い詰められてしまいます。

 

しかしモデルの坂野通夫に関してはまったく違いました。

 

惇子がベビーショップを開くのは、彼の帰国から1年半後の昭和2312月ですが、

通夫はこれからは女性も家でじっとしている時代じゃないので、

大いに外で働くべきと、むしろ背中を押しています。

 

このようにドラマの紀夫とそのモデルの通夫とでは、帰国に至るまでの

エピソードは似ていますが、その後の行動などがまったく異なることがわかります。

 

どうやらドラマでは紀夫が戦争により心に深い傷を負い、それを周囲の暖かさ

とともに克服するまでの過程を描きたいとの製作側の意図があるようですね。

 

そのあたりはドラマの大きな見どころですし、紀夫にはガッツをもって

以前の自分を取り戻してほしいところです♪

 

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